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ラオス近現代史 1

2012年7月7日(土)

 シェンクワン県にはたくさんの不発弾が残っている。「いつ、だれが、なぜ」という疑問を解くとき、第2次世界大戦後のラオスの近現代史を知らないと、理解しにくいと思う。

 まず、1つめにアジア太平洋戦争後から現在のラオス人民民主共和国ができるまでの歴史を簡単に見ていこう。

 1946年 フランスからの完全独立を目指すラオス王国だが、独立方法を巡って2つのグループが対立   
    1.王国派(右派)   :アメリカの支援を受けて、フランスと交渉して独立を目指す。
    2.パテートラオ(左派) :フランスと戦ってラオス王国の独立を目指す。
(この頃はパテートラオでなくラオス臨時人民政府といった。)ソ連・ベトナムの支援を受ける。

 1953年 ラオス王国が独立。 アメリカの軍事支援を受けて、王国派(右派)が完全独立を成し遂げる。
     このころから右派と左派による内戦が始まる。

 1961年 シェンクワン県へパテートラオ軍(左派)が右派を攻撃。
      1964年にはアメリカ軍もシェンクワン県に空爆を行い、内戦が激化する。

 1973年 パテートラオの権力が強い 右派と左派の連合政府ができる。     
      パリ協定により、ラオスの内戦に外国が関わらない決まりができる。

 1975年 パテートラオによる完全支配。王国はなくなり共和制になる。

 1961年から始まったラオスの内戦が、シェンクワン県に大きな被害を及ぼしている。しかし、この内戦は1964年から始まったベトナム戦争の影響も大きく、アメリカやソ連、ベトナムがラオス領土で戦争を引き起こしているので、内戦は激化していくのである。

 長くなりそうなので、続きは明日…
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ganchan

Author:ganchan
2年間ほどラオスで自分磨きしてきました。楽しかったこと、驚いたこと、大変だったこといろいろありましたが、きっと成長して帰国できたと思います。ラオスで毎日ブログを書くことはできませんでしたので、気が向いたときに少しづつ思い出して書き加えていきます。
 ラオスの話と近隣諸国の「癒し旅行」と合わせて。

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