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ラオス近現代史 2

2012年7月8日(日)

 昨日の続き。1953年から始まったラオスでの内戦、しかし、内戦というよりは、アメリカやソ連、ベトナムの代理戦争だったといった方がしっくりくるのかもしれない。

 ①パテートラオ(左派)にはラオスの共産化をねらう北ベトナムやソ連が武器を供給し、北ベトナム軍はラオスの村に入ってラオスの共産化を進めていく。さらに、北ベトナムは南ベトナムを滅ぼすためにラオスの道を使って南ベトナムへ軍を進めていく(ホーチミンルート)

 ②一方、ラオスの共産化を防ぐため、アメリカは王国派(右派)を支援し、ラオスの少数民族モン族の若者を使って、北ベトナム軍やパテートラオ軍と戦うことになる。

 アメリカ軍はシェンクワン県やホーチミンルートを空襲によって北ベトナム軍やパテートラオを攻撃するのである。

 シェンクワン県は北ベトナムと近く、共産化の恐れが大きいところだった、さらにパテートラオがシェンクワン県で陣取ることになり、アメリカにとっては攻撃対象地区となった。

 モン族の話はまた今度。

ということで、次は戦争の犠牲者が眠るタム・ピウ洞窟へ向かいます。
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Author:ganchan
2年間ほどラオスで自分磨きしてきました。楽しかったこと、驚いたこと、大変だったこといろいろありましたが、きっと成長して帰国できたと思います。ラオスで毎日ブログを書くことはできませんでしたので、気が向いたときに少しづつ思い出して書き加えていきます。
 ラオスの話と近隣諸国の「癒し旅行」と合わせて。

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