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ラオスに残る不発弾

2012年7月10日(火)

 ラオスは「一人当たり最も多くの爆撃を受けた国」です。そして現在も多くの不発弾がラオスの国土に残っており、人々の生活に支障をきたしています。不発弾については多くのHPやブログに書かれていますが、簡単にまとめてみました。7月7日、8日のブログと深く関連しています。

(1)空爆

 1964年~1973年に主にアメリカ軍が①パテートラオの拠点であるフアパン県やシェンクワン県 ②ホーチミンルートのあったラオス南東部 に空爆を連日行う。

 空爆の目的は、共産化を目指すパテートラオや北ベトナム軍の壊滅、さらには、北ベトナム空爆の帰りに、飛行機の機体を軽くするために残りの爆弾を帰り道のラオス北東部に落としていったという話もあります。

 9年間に200~300万トンの爆弾を投下、8分に1回爆撃した計算になり、1日800回空爆を行ったということになるようです。

 この空爆だけではありませんが、ラオスはこの内戦で20~40万人の犠牲者が出たと言われています。ちなみにこのころのラオスの人口は300万人。恐ろしい数です。

(2)不発弾とは

 アメリカが落とした爆弾の多くはクラスター爆弾といいます。これは写真の通り3mほどの筒型の爆弾で、この爆弾が空中で分解してテニスボールくらいの大きさの爆弾を巻き散らします。テニスボールくらいの爆弾は「ボンビ
ー」とよばれ、一つのクラスター爆弾の中に300~600個入っていました。
IMG_2470.jpg
 クラスター爆弾とボンビー (ルアンパバーン UXO ビジターセンターにて)
IMG_2473.jpg IMG_2469.jpg
 クラスター爆弾以外にもいくつかの爆弾が落とされています。

 ボンビーは投下しても10%は爆発しない(つまり不発弾)になるとアメリカは知っていました。これは、戦後もラオス経済を停滞させる目的があったとも言われています。(本当なら相当あくどいと思いますが…)

 しかし、実際は30%ものボンビーが不発弾ということがわかり、現在約8000万発ほどの不発弾がラオスに残っています
 
(3)被害

 1997年データによると、ラオス全土の25%の村にまだ不発弾がある ということです。

 いまだに、年間約300人の被害者 が出ていますが、被害にあっても、病院が遠くて行けないという理由から、被害者はもっと多いと推定されています。

 不発弾の被害に遭うのは、多くが子どもです。ボンビーをおもちゃがわりに拾って遊んでしまう、または、お金になるということで持って帰ろうとするからです。不発弾に対する知識が少ないことが原因にあるようです。
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ganchan

Author:ganchan
2年間ほどラオスで自分磨きしてきました。楽しかったこと、驚いたこと、大変だったこといろいろありましたが、きっと成長して帰国できたと思います。ラオスで毎日ブログを書くことはできませんでしたので、気が向いたときに少しづつ思い出して書き加えていきます。
 ラオスの話と近隣諸国の「癒し旅行」と合わせて。

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